幼少期
幼少期といえば、おじいちゃんとの出会いでしょうね~
幼少期といえば、おじいちゃんとの出会いでしょうね~
このページから自分の今までの歴史というものを振り返っていきたいと思います。
私の幼少期、絵というものを初めて認識したのが、私のおじいちゃん(秋山正巳)(以下 祖父もしくはおじいちゃん)の絵を観たときでした。祖父の家には、祖父の描いた絵が壁にかけられており、その絵を眺めては「上手いなあ」って思っていました。祖父の絵の中で印象に残っているのが、瀬戸大橋を描いたスケール感が絶大な墨絵でした、其の時、うちの祖父がカレンダーの挿絵の(赤の他人が描いた)瀬戸大橋の絵をカラカラ笑いながら指差して、「あんな絵よりもワシの方が数段うめえ!」といっていました。子供心にも、その瀬戸大橋よりもおじいちゃんの絵のほうが、遠近感があって大きく見える!!すげえ!!と思い、自信満々の祖父に頼もしさと尊敬を感じていました。祖父は、どちらかというと、寡黙な人でした。いつもおばあちゃんや、その娘(私のおかあさんですね)がワイワイ話している脇で、つまらなさそうに、座している、という印象が強かったのですが、心根は子どものように無邪気だったと思います。
先日、おじいちゃんの瀬戸大橋の絵をおばあちゃんから譲りうけました。他人の手に渡っていたようなのですが、私が熱心に「おじいちゃんの瀬戸大橋の絵欲しい」と頼み込んだら、おばあちゃんが他の絵と交換してきてくれました。
おばあちゃん、ありがとう!
その寡黙な祖父が、自分の絵について語るときに言う言葉で印象に残っているのが、
・光と影をよく観るんじゃ
・ミレーの空が好きで、その色合いや画風を研究して絵におこすんじゃ
・丁寧に描くんじゃ
この3つでした。最初と最後は私も共感するところであります。
おじいちゃんの作品で特筆すべきところは、「溶金画」という境地を切り開いたところです。この画法で特許をとったことをいつも自慢していました。「溶金画」というのは色々な色合いの(種類の)金属を溶かして一つの絵に仕上げるという、一風変わった画法です。うちのじいちゃんは手先が器用で、家具の修理や、公園の鉄棒やブランコを修理する仕事をやっていました、いわゆる「職人」です。その仕事柄と絵を描くということを融合させてできたのが「溶金画」というものだったのです。ここに展示してあるのはそのすべてではありませんが私の所有しているものです。この溶金画という画法ですが、おばあちゃん曰く、「難しすぎて、絵を習いにきた人はいるみたいなんじゃけど、誰もマスターできんかった」…だそうです。工業系の専門学校の先生が習いに来たときも、溶金そのもののスキルはあっても、絵を描けないと話しにならなかったらしく、そればかりは長年の修練の集積の結果なので、どうしようもなかったみたいです。(私もまだまだ子どもでしたので、そんな機会をもつべくもありませんでした。)よって、残念ながらその技術を受け継ぐ者はいません…
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いつか、一緒に絵を描きに行けたらよかったのですが、88歳で他界してしまいました。しかし私のアトリエには、おじいちゃんの絵が遺されており、私の制作を見守っていてくれています。